人懐っこいヤマドリ
現場に向かう山道でヤマドリで出くわした。ヤマドリは,意外と姿を現してくれる。そして慌てて逃げない。「おはよう」と話しかけると,段々と近づいてくる。そのうち手を伸ばせば届く距離まで近づく。お腹が減っているのかと思い,お昼のパンをちぎって与えるが違うものを突っつく。ならばとおにぎりのご飯を投げてあげるとやっぱりご飯には見向きもしない。お腹は減ってないのか。単に人懐っこいのか…。しかし,懐かれると可愛いものだ。また来年会えるとといいな。
努力しなけれなできないことばかり
Youtubeにてスナフキンがギターで演奏する「おさびし山」のタブ譜を発見。短い曲だが,このメロディーの格好良さにあこがれた人はたくさんいると思う。
「弾けるようになったらかっこいいなあ」と練習を始めるも全く引けない。演奏スピードが違うからか?同じ曲に聴こえない。ちょちょっと引けるようになるかと思いきや2小節目でくじけそうになった。
この世の中には努力しないでもできることってなかなかないなぁと思う。努力することを惜しむ気持ちは全くないのだけれど,その努力のレベルが自分の現在のレベルとかけ離れすぎている。スモールステップでステップアップできればいいのだけれども,それじゃあ時間がかかりすぎるか。
自分の性格かな。とにかくすぐにでも結果をだしたいと思うんだな。すぐにできるようになりたい,すぐに手に入れたいと…。そうでなければ諦めてしまう。
ああ,努力を続けられる才能が欲しかった。
GoProHero10の熱がやばい
「熱がやばい」というのは,夢中になっているという意味ではないです。動作中の熱で電源が落ちました。炎天下の真昼間というわけではなくて,日が落ちた室内での撮影中でした。
熱で電源が落ちる情報をいつくかみつけましたが,過酷な条件でもないのに簡単に落ちるとは思いもしませんでした。ということは,長時間の撮影は不可能ということではないでしょうか。あまりにもスペックを追い求めたため,本体がそれについていけてないというヒーローものの漫画のようなことになってしまいました。画角が広いとか,動画がきれいとか以前の問題で,撮影ができないといういちばんあってはいけない欠点ではないでしょうか。
仕方がないので,iPhoneを使って撮影を続けました。今後は,iPhoneと併用したり,長時間の撮影を避けて,短時間撮影をくり返すということで補っていくしかないのでしょうね。
【読書】いい言葉はいい人生をつくる
定期的にいい言葉を求めて本を読む。その言葉から何を学ぶかということが大切なんだけれど,ただカッコよさを求めているだけ。
出口さんも書かれていたが,知識を自分のものとするために必要なことは,アウトプットすることだそうだ。それも自分の言葉でかみ砕いて伝えることができることが重要で。分かっていることは,本当に分かりやすく説明することが出来るそう。しっかりと分かっていないことは,それができないらしい。
しかしながら,アウトプットが大事と言われてもどこでアウトプットすればいいのかわからないね。日記に書くか?そこら辺の人をつかまえて説明するか?本を読むと,そのときは,「なるほど」と感銘するが,実践すると本通りにいかなくて,自分を残念に思う。
それが人生である。
GoPro Hero10がアメリカより届く
GoPro Hero10の発売が発表されたのが9/16(木)。速攻注文して6日で届いた。アメリカから6日で届くとは驚きだ。
10の発表があったときに比べるとテンションが下がってしまったが,これでどんどん動画を撮っていきたいと思う。
ちわわのずんぱちくんかくし芸を見せる
チワワのずんぱち君は,12月24日で5歳になります。
お手やおすわり,ふせ等は,子犬の頃にしつけをするためにおぼえさせました。いちばん覚えてほしかったのが,「ばきゅーん」の声でコロンと倒れる芸と「くる~ん」の声でくるりとまわる芸です。「ばきゅーん」の方は,教えるのに手ごわかったですが,同じ倒れ芸の,悪いことをしたときの「ごめんね」とカキカキしてあげるときの「ころん」は,すぐにできるようになりました。
最近,妻が「あご」と言って,手のひらにあごをのせる芸?を教えていました。手の平にあごをのせた状態がかわいいかららしいです。
ずんぱちくんと妻は同レベルのときがあって,お互いにマウントを取り合います。今回の動画でも,ご褒美をあげる立場から強気の妻とそんな妻に対して冷めた遠い目をしているずんの姿が,対照的でおもしろいです。
1分弱の動画ですが,テロップを入れたり,エフェクトかけたり編集するにはこれくらいがちょうどいいですね。時間的にも編集技術もこの程度なら苦にならないです。ついついやりすぎてしまうので疲れてしまいます。どういったスタイルが自分にあっているのか探っていきたいと思っています。
作文がうまくなりたい
「作文は得意です」という人は少ないのとおもう。私もその一人。作文するのも本を読むのも好きではけれど,うまくなりたい,たくさん読みたいという願いは常々持っていて,それができないから頭が,どうもよくないんだという劣等感につながっているようにおもう。
たまに論文や作文の書き方の本を読んだりするけど,それだけでうまくなったためしはない。この「井上ひさし 作文教室」の中にもかかれているが,うまくなるかどうかは,(上手に書くことを意識しながら)続けていけるかどうかと述べられている。
結局,実践力がものをいうというお話です。自分なりによく書けた作文を作ろうとすれば,何時間もかかってしまう。そんな面倒なことはやってられないと離れて行ってしまう。適当に書けば結局文才の無さに絶望してしまう。悪循環になっているのでどこかでこれを断ち切らなければならないということだ。
それができれば今頃,文才をいかんなく発揮できていることだろうね。